Inspiration patchwork ~ 創造についての信条告白 ~

森の芸術家 夏休みの宿題をとく。

11のコピーとパウルクレー

 

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「 数百人の子供の声で歌うための 

神秘の合唱を創り出す

それができるような人は

あえて努力する必要がない。 

たくさんの小さな作品が

最後には、そこへと導くのだ 」 

      by パウル クレー

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クレーとの出会いは、中2の図書館。

柱にペロっと貼ってあった、
不思議なほど青い絵。

《 船乗りシンドバッド 》という作品。

生まれてはじめて
同じ目線で生きている人に出会えたと直感した!

うれしくて うれしくて

何時間も夢中で眺めた。

それから、足繁く図書館や本屋さんに通い
クレーの作品を眺めた。

幸いに、何度もクレーの展覧会に遭遇でき、
実物を肌で感じることができた。 
その経験によって、
作品世界に溶けこむという感覚を知り、
わたしはクレーの作品の中で
自分の感受性、微細な感覚までも、
自由に、存分に働かせ
喜ばせる世界があることを知っていった。

ここなら、自分を安心して遊ばせられる。

好きな自分で、
誰にも知られずに、惨めな思いをすることなく、
思いきり感じたまま自分の言語で話せる!!

自分の音楽を、思いきり演奏できると思った!!

その感覚がどういうことなのか、

自分にとっての価値や、
言語を知っていく歓び。

視覚からくる、さまざまな共感覚を通して
クレーの創作を垣間見、知覚し、
創造の本質や、リズム、
注意したほうがよさそうなことなど、
大好きな作品、魂から、
多くを学ばせてもらった。

今でも、彼の作品の前に立つたびに、
全身に、鳥肌が舞う。

まるで、草原の花々が一斉に咲きほこるように。

わたしを目覚めさせてくれた、
クレーのエナジー

出会うたびに、そうやって
細胞が新鮮に喜んでしまうんだなぁと感じる。

 

感覚からの認知。

経験を通じて、

知ったと知ることの美しさ。  

 

おそらく、
わたしの話は、わかりにくい。
ひらめいたまま話すので、

話題が飛びちりすぎて、
果たして今、なんの話をしていたのかもわからないのは常。

絵なんて、感じるもので
そもそも わかるってなんだろう。
気がつくが、近いんじゃないのかな。

 

思考を棚上げし無心に。
無意識でありつつ、意識に目覚め、
眠りの中で、目覚めている。
生と死、

両方にまたがっているとも感じない至福の感覚。
インスピレーションのはじまり。

ただ純粋であるだけで、健やかに受信できる。
制作者であり、鑑賞者、観察者でもある。
何のエネルギーを表現しているのかを知るのかも
インスピレーション。叡智のかたまり。

こんなイリュージョン的な遊び、
創造は、祝福でしかない。

薬物やアルコールの影響、魂を手放したり、
エゴ、思考、心身の浄化ができていないと、 
わたしは遠ざかり
おそらく創造の源から切り離されていく。

受信チャンネルは没落し、

スランプや苦しみを伴う。
インスピレーションは不調和、
不協和音を纏うのでわかりやすい。
不純は色が濁り、音に乏しい。
それは愛が乏しい。心地よくない。

それらは、思考や観念が、
ゼロ、無、調和できていないという
さまざまな愛あるサインだ。
「わたし」に気づけば即、クリアに。

心地よいものには、愛がある。


自然がうみだす意識された調和は愛だ。

 

思考も言語も、歴史は浅い。

感じている膨大な情報のことを、
小さな言葉だけにおしこめたり依存するのは、

量子コンピューターの情報をそろばんで、

どうにかこうにか

表現しようとするようなものだと

わたしは思っている。
あまりに無謀だ。 

 

話すことやメールも苦手。
仏陀が伝えてくれてるように、
言葉や会話よりも行為をみて。と。

そして、なにより

エネルギーを感じて。と。願う。

 

詩ぐらいの純粋さと自由な言語を扱えれば、
もっと人間は、

寛容になれるのではないのかとも思う。
ただ、その意識レベルならテレパシーの段階で、言語はいらないのだろうけれど…

 

そんな、
どうにかこうにか帳尻をあわせようともがく
自分の話を言葉できくのは
たまらなく他人事で、楽しい!

 

今しばらくは自分の話を
言葉でききたい時期でもあるような。

ないような。

 

私をわたしにしてくれる
あらゆる環境の影響に感謝を💝

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